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穴の薬師(樋春)

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穴の薬師と呼ばれる石像には、寛政九年巳年五月の銘があり、その前の奉納石燈龍には、享保五年十一月(五月?)十二日、村中と刻まれています。石仏の前の絵馬堂には昭和二十八年十月新築とあります。
絵馬堂には「奉献 昭和四十三年八月四日 穴薬師瑠端之如来 心願成就」などと書かれた絵馬や穴のあいた石に五円玉の穴あき銭を糸でつるべたものなどが掲げられてあげられています。そして薬師様の石像まわりには、穴のあいた大小無数の石が奉納されています。
この薬師様を通称「穴薬師」と呼んでいますが、この辺は水の湧き出るところで、地盤の下がったためともいいますが、薬師様はだんだん沈んでいっているそうです。昔から沈んでは持ち上げ、沈んでは持ち上げたともいわれています。奉納される石の重みで沈んだのではないかという人もいます。
この薬師様は目の病気に大変あらたかで、「どうぞ目の病気が治りますように」と言って願を掛け、治るとそのお礼として穴のあいた石を奉納したといいます。絵馬や白いお旗も願果たしに上げたといいます。昔は不衛生でもあり、目の病気も多かったそうで、願果たしの穴あき石を荒川に行って探したものといいますが、深く穴のあいた石は見つかるものではないそうです。それを考えるとこんなに穴のあいた石が奉納されているということは、この薬師様の霊験あらたかさがしのばれるというものです。昔は石臼のような大きな穴あき石もあったといわれています。
戦争前は一〇月二一日が縁日で、熊谷成田屋さんを頼んで、田舎芝居があり、にぎやかだったといいます。戦後は地元の青年団による演芸会や盆踊りが行われましたが、昭和四〇年代に入ると踊り手もいなくなったり、テレビが普及したため中止になったといいます。
その代わり夏の八月に盆踊りをはじめ、今年で一一年(平成四年)も続いています。
なお大正時代ころには穴薬師講という講が形成されており、その講金で薬師堂の修理もしたといい、大正四年の寄付者名を記した木板が、堂内に残っています。
穴の薬師(樋春)