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ジュウキチ地蔵(須賀広)

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今では道路も舗装になったり、砂利敷きになり、雨が降ってもぬかるみにならず歩き易くなっていますが、須賀広の辺は一昔前までは道にタッペ(霜柱)が立ったりして歩くのが大変でありました。
昭和一五年頃のことでありますがみんなが相談して道がぬからないように砂利を敷こうということで、野原境にある馬頭山で、砂利みたいなものが出るというので、その山から砂利のような石を掘り出すことになり、牛車にランプ箱をつけてトロッコのようにして運び出し、それを道に敷いたのだそうです。その折、当時二〇歳であった高橋ジュウキチさんは、ツルッパシで穴を掘りながら砂利を掘り出す仕事に従事していました。仲間の人達と掘り進んでいったある日、突然その穴が崩れてしまい、ジュウキチさんと、吉田家の番頭さんの二人が生き埋めになってしまいました。番頭さんは助け出され一命をとりとめましたが、ジュウキチさんはみんなの願いもむなしく帰らぬ人となってしまいました。
村のため、みんなのためにと危険な作業をも省みず一生懸命働き亡くなったジュウキチさんの霊を慰め、供養しようということで、このお地蔵様は建てられたそうです。ジュウキチさんが亡くなったのは昭和十五年八月六日のことでした。このお地蔵様は、元は馬頭山に建てられていましたが、今では寺の境内で、他の地蔵様と一緒に祀られています。