押切の字大道南の道端に、熊地蔵と呼ぶお地蔵さんが立っていましたが、昭和四七年の道路拡張の際、他に移っていってしまいました。そのころはまだ周り中が山で村はずれといった感じの所でした。熊さんという人が立てたので熊地蔵と呼んだといわれています。
このお地蔵様は、大変霊験あらたかで、村人のいろいろな願い事を何でも聞いてくれるということで、いつもいろいろな供え物があがっていました。
N子さんは、昭和四七年の一月末にお孫さんが生まれましたが、赤ちゃんの夜泣きが激しくてしょうがなかったので、「お地蔵さんこの子の夜泣きを止めてください」と言ってお線香とオサゴを供えてお願いしたら、その晩から赤ちゃんの夜泣きはぴたりと止まったそうです。お礼参りに「奉納地蔵尊何々」と子供の名前を書いたサラシで作ったお旗を奉納しました。
その他、腰が痛い、歯が痛い、風をひいた時など体の具合が一寸悪いと皆願掛けに行きました。
また、「勉強ができますように」とか「稲がよく実るように」「嵐が来ないでアレビ(荒日)が静かでありますように」とか「いい繭がとれますように」などといったお願いにも行きました。そのお願いを聞いてもらっていい結果がでると「お陰様でいい繭がとれました」と言ってオヒネリを持ってお参りしました。
また正月にはお供え餅とお線香を持ち、ひな祭りには、ひし餅を持ち、五月の節句にはかしわ餅、お盆やお彼岸にはぼた餅というふうに、一年のモノビやお日待ちの祈りには必ずお参りするという風習がありました。近所中のみんなが行くので、早く行かないと供える場所がなくなってしまうほどだったといわれています。
熊地蔵さんは、子供を丈夫に育ててくれ、病気を治してくれた、その上農作物の豊作をもたらしてくれ、村人に親しまれ頼りになる有難いお地蔵様でした。
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