昔、須賀広は稲垣若狭守という殿様の領地でありました。その稲垣氏が、慶長年間に陣屋の庭園に氏神様としてお祀りしたのが、重殿の稲荷様であると伝えられています。
時代は移り変わり、武士が治めた江戸時代も終わり、明治維新となり、稲垣氏もこの地を離れるにあたり、地元の旧家で「お代官」と呼ばれていた吉田家に、祀っていた稲荷社を譲り、それ以降吉田家がこの社を個人持ちとして管理し今日に至っているといわれています。
「重殿」といわれる理由は特に伝えられていませんが三月一八日と一一月一四日、村社の春、秋の祭りの後、吉田家がお祭りを行い、供物として団子をふるまい、子供たちは、「今度はこっちだ」などと言いながら八幡神社から重殿稲荷の方へ、団子をもらいに飛んできたそうです。
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