樋春南の字上人山には、上人塚と呼ぶ小さな塚があったそうです。近年の基盤整備事業で取り崩してしまい、その痕跡を今はとどめていません。
上人山そのものはかなり広く畑が広がっていましたがその一角に栗の木や柿の木に囲まれて上人塚と呼ぶ塚はありました。塚の西の方が少し高くなっていて、そこの上の方に何かわかりませんが石があったそうです。
昔は、この塚の両脇の畑の所有者が、一年に一度は塚の周囲を掃除し、廓に小作料を納めていました。廓ではそのお金で集会の折などお茶菓子を買ってみんなで食べたそうです。この上人塚については特に言い伝えもありませんし、取り崩しの時も塚から何も出た様子はなかったといいます。
今ではこの塚について何もわかりませんが、上人山とか、上人塚と呼ばれていたことは、知徳を備え慈悲心に満ちた僧侶か何かにいわれをもつ、供養の塚か、信仰の地であったに違いありません。
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