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コラム29 文殊寺と魚  [登録:2004年08月30日/再掲2013年3月6日]
 [追加:2004年09月03日・2006年01月05日]


  平成8年に発掘調査した、野原地内にある曹洞宗文殊寺境内の遺跡(元境内遺跡第1次調査)からは、18世紀前後の陶磁器その他の資料が多量に出土しています。その中で、18世紀後半の楼閣山水文が見込み部に描かれた肥前産陶器平碗(京焼写し)の高台内に、「」と思われる墨書が書かれていました(下写真左)。
 禅宗の寺院には、よく、戒壇石(結界石)と呼ばれる、山門前に「不許葷酒(くんしゅ)入山門」(葷酒、山門に入るべからず)の文字が刻まれた石碑が建てられています(下写真中)。葷とは、ニラやニンニク、魚、肉などのことで、「臭いが強い野菜(ねぎ・にら・にんにく等)は他人を苦しめると共に自分の修行を妨げ、酒は心を乱すので、これらを口にした者は清浄な寺内に立ち入ることを許さない、またはそれらの物を持ち込むのを禁止する」という戒めです。このように、戒律の厳しかった禅宗の寺院で、「」とは不謹慎な・・・と思いつつ、今回、これが何を示しているのか推測してみたいと思います。

 近世の陶器に底部には、墨でその器を使用する施設や、使用者の名が書かれている例があるのですが、この「」は何を示しているのでしょうか。
 「」の字の付く方丈さんは、寺の記録には無いので、人名に関係するものではなさそうです。
 そういえば、寺院の破風に付けられているのが懸で「」がつきますし、浄土宗や禅宗でよく用いられる木(下写真右)にも「」がつきます。
 木とは、お経や念仏を唱える拍子取りに禅宗や浄土宗で使われているもので、その形は、現在ではだいぶ形骸化していますが、よく見ると、その形は「」が体を丸めて頭と尾を付けている姿になっています。日本で用いられるようになったのは、17世紀に隠元禅師(1592〜1673)が、禅宗の黄檗宗(おうばくしゅう)を中国から伝えてからです。
 ちなみにこの隠元禅師は、その名前に由来するインゲン豆や、煎も伝えています。インゲン豆は、禅の普料理の材料として、肉や魚の類を原則として食べない僧侶のため、タンパ ク質の補給源として普及させたもので、原産地は中南米(メキシコ近辺)です。
 この木を、型式学的に遡っていくと、その原型となっているのが、板と呼ばれるものです。板とは、木のように体を丸めて頭と尾を付けている姿ではなく、頭から尾までを真っすぐに伸ばした、通常の「」の姿に彫られた板をいます。行事や法要、儀式の始まりを山内の人々に報せるために打ち鳴らされるものです。又、食堂にあるこの板は、修業僧の食事の合図にも使われます。
 なぜ、これらのを打つのかというと、 『勅修百丈清規』(ちょくしゅうひゃくじょうしんぎ:元の順帝の勅によって東陽徳Wが編集し、至元二年(1336)〜至正三年(1343)の間に完成)の註に「相伝えて云う、は昼夜常に醒む。木に刻して形を象り、之を撃つは昏惰を警むる所以なり。」と板を叩く理由が述べられています。つまり、「」の目にはまぶたが無く、いつも目をあけていることから、「の如く昼夜の別なく、常に目ざめて努力修行しなさい」この戒めを皆に気付かせるために「」の形のまま吊り下げたもの(板)、形を団円にしたもの(木)を打つのだということです。
 また、板の側面中央にある丸い模様は「撞座(つきざ)」と言い、ここを木鎚で叩きます。口には、龍と同じように「玉」を咥えています。この玉は欲望を表しており、板を叩いて吐き出させるという意味もあります。

 想像をたくましくするなら、禅の修業中、眠くならないように、禅宗ではを飲むことが盛んに行われており(『明恵上人伝記』に「誠に眠りをさまし、気をはらす得あれば衆僧に服せしめられき」とある:平泉:1980年)、その碗の底に、眠らない「」にあやかりたく「」の字を書いたのか、あるいは、食堂にかかる板から、食堂で使用する器であることを示したのかもしれません。

 最後に、出典は割り出せなかったのですが、おもしろい川柳を紹介します。
「同じ木を叩いてみたり、拝んでみたり」・・・。禅問答にも通じる名川柳です。
       
       
魚と墨書された肥前産陶器碗の実測図  
魚と墨書された肥前産陶器碗
(18世紀後半)
熊谷市泰蔵院の戒壇石 曹洞宗寺院の木魚 
<参考文献>
バーチャル寺院IN京都「やさしい法話コーナー:魚板のおはなし」
http://www.geisya.or.jp/~oterasan/index.html
黄檗山萬福寺「萬福寺の歴史:隠元禅師」
http://www.obakusan.or.jp/index.html
花園大学国際禅学研究所「データベース:禅籍データベース:清規:勅修百丈清規」
http://iriz.hanazono.ac.jp/index.ja.html
食材辞典「食材の一覧表:隠元豆」
http://www2.odn.ne.jp/shokuzai/Shokuzai.htm
大宝輪閣「仏教へのいざない:石造物のいろいろ:戒壇石」
http://www.daihorin-kaku.com/index.html
埼浄青「用語解説:木魚」
http://www.saijousei.com/

平泉 洸 全訳註 1980年 『明恵上人伝記』 講談社学術文庫
吉田紹欽 全訳註 2000年 『栄西 喫茶養生記』 講談社学術文庫