コラム21 踊る埴輪と踊り | [登録:2002年10月18日/2012年11月20日] |
熊谷市野原古墳から出土した「踊る人々」(通称:踊る埴輪)は、ほんとうに踊っているのでしょうか。
近年、全国の埴輪を集成・形式分類した、塚田氏の論文によると、「踊っている埴輪」という形式は存在しないという結論に達しています(塚田:1996)。「踊る埴輪」をPRしたい本市としては、この展開はちょっと困ったものです。
埴輪の中でも、最も知名度の高い部類に入るこの埴輪が、実は「踊る埴輪」ではなく馬を曳く「馬子埴輪」であったとなると、ちょっとインパクトが下がるかもしれません。しかし、ここまで、知名度が高まってしまうと「踊る埴輪」という名称自体が固有名詞化していると判断され、後藤守一氏の命名するところの「踊る埴輪」とすれば、万が一踊っていなくとも問題はないと判断されます。
考古学的分析手法とはまったく違いますが、経済人類学(創始者:Karl Polanyi 1886−1964)において「暗黙知」理論というものがあります。これは、人は生まれながらにして、個々の対象に注目することによってその背後にある意味や全体性を理解する能力を備えていると考えるものです。なんだか良くわからない説明ですが、たとえば、我々の大半があるものを同じく「木」として認識し、また別のものを「石」と認識し、決して「生物」としては認識しません。この現象は、我々がこれは「植物」である、これは「鉱物」であると見分ける力を持っていて、言葉は後からついてきていると考えるものです。別の言い方をすれば、我々の大半がそれを「木」と思うから「木」なのであり、「石」と思うから「石」なのだということになります。つまり、人々が共同に認識するものが「事実」になる、または「事実」であるということです。
後藤守一氏命名するところの「踊る埴輪」は、形式学的な判断はともかくとして、後藤守一氏がそうであったように、多くの人の第一印象はやはり「踊っている」と認識されるのではないでしょうか。
したがって、「暗黙知理論」によれば、大半の人が踊っていると認識する「踊る埴輪」はやはり「踊っている」という結論になる・・・(ちょっとくるしい?)。
「踊っている」「踊っていない」についての決着は今後の課題として、では人はなぜ踊るのかについて考えてみました。
単純に考えるなら、人々は踊ることが「心地良い」と感じるからということだと思います。
では、「踊り」はどのような場面で行われていたのでしょうか。
日本における踊りの最古例は、「古事記」や「日本書紀」の記述にみられるもので、洞窟(天岩戸)に隠れてしまった天照大神(アマテラスオオミカミ)を誘い出すために、神々が洞窟の前で宴をひらき、天細女命(アメノウズメノミコト)が舞った歌舞であるとされています。この踊りは、植物を体に巻きつけ、伏せた桶を足で踏みながら踊ったというもので、現在の「神楽」の原型であると言われています。
人類の歴史をさかのぼってみても、踊りは祭りや、通過儀礼の時、神々と人とのコミュニケーションの手段として、または捧げものとして、また、祭りに集まった人々の余興としておこなわれてきました。現代においてメジャーなところとしては、日本の阿波踊りや郡上踊り、インドネシアのケチャ、ブラジルのサンバなどが挙げられ、その踊りの原点には、踊る行為を通して「無心」になることで神に近づきたい、またはコミュニケートしたいという願望が受け継がれているのではないでしょうか。
近代化した社会においては稀ですが、近代化以前の社会においては、「神がかり」と呼ばれる現象が良くみられました。まるで神がのりうつったかのように、普段とは精神的にも身体的にも状態が変わってしまう現象で、生理学的には「トランス状態」といいます。巫女はもともと神の依代として、トランス状態になりやすい体質のものが選ばれたとされています。そして近年、この状態にある時、人は強い「快感」を感じていることが大脳生理学で確かめられています。
トランス状態まで行かなくとも、祭りにおけるリズム、非日常性を作り出す仮面や衣裳・祭りの飾りなどの小道具、単調で激しい動作の繰り返し、太鼓などの低い持続音などは、視聴覚器官を通して、脳内神経系の、無髄神経であるA10神経を刺激し、シナプスにおいて脳内麻薬物質(エンドルフィン)を作用させ、ドーパミンと呼ばれる神経伝達物質を多量に放出するようパターン認識されており、人々に「快感」をもたらすと考えられています。
そして、踊りがもたらす「快感」は、人々のきずなを強くします。祭りは、場所の設定・飾りつけ・料理・音楽などの準備等どれも本質的に一人ではできない仕組みになっているからです。戦後の高度成長期において、急速に近代化した都市近郊の農村において、新旧住民の軋轢を解決した手段の一つに「祭り」における踊りの役割を指摘する学者もいます。
また、踊りがもたらす「快感」は、人々の心を癒す役割をもはたします。精神医学者の小田進氏によると、バリ島では、精神病患者のためのベッド数は、島民250万人に対し256床で、その中のアルコール依存症のものは1床にすぎず、比率にすると10000分の1。これに対し、東京都では人口1千万人に対し30,000床で、比率330分の1です(1984年時)。これは、バリ島では東京都よりも精神を病んでいる人の数が圧倒的に少ないとういことを意味しており、「宗教や芸能と結びついた陶酔や一時的な神がかりを経験することで、本格的なアルコールや薬物の乱用や狂気におちいることが防がれている」ためと分析されています(本田 他:1995)。
このように、「踊り」は、脳内麻薬物質を放出し、人々に「快感」をもたらし、人々のきずなを強くし、また人々を癒す等数々の効用が認められるようです。
つまり、「踊る埴輪」は、”癒し系”という事になります。
最後に栗本慎一郎氏の著書からの一文です。
「快感は、
アルカロイドの夢を見る。
そのときあなたは、
未知なる生物に変身する。」 (1988年栗本)
1.踊る人々(小) | 2.踊る人々(大) |
<参考引用文献>
栗本慎一郎 1988 『パンツを捨てるサル』 光文社
栗本慎一郎 1991 『人類新世紀終局の選択』 青春出版社
本田郁子 薫 大和 1995 『人はなぜおどるのか』 ポプラ社
塚田良道 1996 「人物埴輪の形式分類」『考古学雑誌』第81号第3号
京都精華大学/人文学科/卒業論文/2000年卒業論文/優秀論文/藤川万希子『巫女舞の研究』 http://www.kyoto-seika.ac.jp/index.html