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コラム11 古代との遭遇3
        ー大塚古墳ー
 [登録:2010年04月20日/掲載:2012年9月06日] 
 


                                    

 彩の国くまがやドームの東350mほど先のこんもりとした森、ここに市指定史跡の大塚古墳があります。これは直径35m、現高3.5mを測る円墳です。
 昭和57年7月、古墳中央の石室は、天井石が落ちかけ危険な状況になっていたために、天井石を安全な場所に移し、あわせて石室の調査をすることにしました。地元の人の話では、昔はこの中に人が集い、宴を開いたこともあったそうです。
 かぶさった泥を除けていくと、天井石は半円形で天井部のちょうど半分の大きさでした。天井石の移動には、庭石運搬のプロである植木屋さんに頼みました。その石を目にした彼は、「こりゃ3トン以上はあるでー」と驚きとも嘆きともとれる声を漏らしました。しかし、チェーンと滑車を巧みに使い、天井石を徐々に外へ移動してくれました。
 天井石を除き、きれいにした石室の中は、驚きの連続でした。
 石室の平面形は樽型で、長さ4.2m、最大幅3.4mの広さがありました。奥の壁になっている1枚の緑泥片岩の高さは2.75mもあり、左右の壁に使われた角閃石安山岩の截石は精巧に削られ、上下左右隙間無く組み合わさっていました。その壁は、上に行くほど大きな石(30×40×50cm)が使われており、内面全体を通して削られていました。その上、横の列はほぼ同じ大きさの石が使用され、時には下の石との段差を鍵形に加工していました。全体では上に行くほど狭くなるようなドーム型に、そして奥の壁も内側に10°程傾け、重い天井石の重量を全体的に分散させる見事な設計で作られていたのです。その場にいた全員が、その精緻な様子に見とれてしまいました。
 そんな高度な技術力を結集した石室を持つ大塚古墳は、1400年もの間、地元の人々に保護され続けています。
大塚古墳石室側面・奥壁


              参考文献
               2010年 「文化財コラム 古代との遭遇・第3話」『BUNKAZAI情報』第3号
                     熊谷市立江南文化財センター