荒川大橋を渡って熊谷・小川県道を南下し、嵐山町に入る直前の和田川を越えた熊谷市南端の丘陵を上りきった尾根上に、「埼玉県指定史跡塩古墳群」は位置しています。
平成5年の冬、発掘作業員が木の根のからむ古墳墳丘の角裾を力を込めて掘っています。そして、「ここの裾が直角に出てくれればな〜」という調査員の言葉が聞こえたかのように、墳丘西隅が直角に折れて出てきたのです。前方後円墳と言われていた塩古墳群第T支群第1号墳が、実は全長35.3mの前方後方墳であることが決定的となった瞬間です。「前方後円墳」と「前方後方墳」、1字しか違いませんが、歴史的にはすごく大きな違いがあるのです。
第1号墳は、最初から前方後方墳と判っていたわけではありません。その形を巡っては、古墳研究の過程と合わせたように変化しています。
昭和35年、前方後円墳と認識されていた第1号墳と第2号墳を主に、他の円墳とともに総数23基が古墳時代後期における群集墳として埼玉県の史跡に指定されました。当時は、前方後方墳という認識は薄いものでした。
しかし、研究者の間から第1号墳と第2号墳について「後円部が丸でなく、四角い形をしているのではないか」という疑問が出され、その後の測量調査と共に、各辺が直線的になる「前方後方墳」の可能性が高くなってきました。
そして、平成5年の発掘調査でこのことが確認されたのでした。この時点で周囲にあった円墳も方墳であることが判り、さらに、塩古墳群が当地で最も古い古墳時代前期の古墳群であることが判明したのです。
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