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コラム36 古代との遭遇15
        ー墨書土器Aー
 [登録:2015年01月15日/掲載:2015年3月12日]
 
                                   
 『墨書土器A』

 

 墨書土器は、在地における識字層の存在を示すと前号で述べました。地方における文字(漢字)の受容は、7世紀ごろの地方豪族による先進文化・技術の積極的な受け入れによるものと考えられています。その後、命令や報告を文書で行う律令国家へと政治体制が移行しますが、前述の下地があり律令による文書主義が機能したと考えられています。このような流れの中で、墨書土器が出現したといえます。

 墨書土器は東日本に多く、中でも埼玉県・千葉県で多く確認されています。文字だけをみると、全体的に共通した種類が確認されますが、地域的に絞ると、共通性は限定される傾向にあるようです。7世紀代は少なく、8世紀になり増加する傾向がうかがえます。これは、8世紀になり全国的に造営が進む、官衙(古代の役所)や付随する寺院、関連する集落などが関係しています。平成25年に発掘調査された別府地内の在家遺跡も8〜9世紀に存在した官衙関連遺跡と判明しており、特に西別府湯殿神社周辺に所在した幡羅郡家との関わりが考えられます。

 
在家遺跡出土墨書土器 分析箇所(左)・赤外線分析箇所(右)

            参考文献
              2015年 「文化財コラム 古代との遭遇 第15話」『BUNKAZAI情報』第15号
                     熊谷市立江南文化財センター