『水辺での祭りごと 西別府祭祀遺跡』
昭和38 年3 月21 日、熊谷市立南小学校6 年生の児童2 人によって、西別府の湯殿神社裏の北東面崖下・別府沼の中から、加工した珍しい石など約20
点が発見されました。その後の調査にて、古代の祭祀に用いられた馬形、櫛形、勾玉形、円板形、剣形などの滑石製模造品と土錘(どすい) であることが確認されたのです。
同年4 月4 日から3 日間、滑石製模造品が見つかった地点の発掘調査を実施しました。その結果、土器、土錘( どすい)などのほか160 点ほどの滑石製模造品が検出され、形状の判明するものは馬形13 点、櫛形19 点、剣形3 点、勾玉形16 点、有孔円板形10 点、有線円板形19 点に及びました。発掘した場所が湯殿神社のほぼ真下に当たり、以後湯殿神社祭祀遺跡という名称で知られることとなります( 平成になって西別府祭祀遺跡と改称)。
平成4 年には、湯殿神社下の沼地全域の発掘調査が行われ、祭祀が7 世紀半から11 世紀代に及んでいたこと、滑石製模造品 を祭具としていた時代が7
世紀後半の年代、つまり律令制開始直前であること、それ以後は土器を中心に行われたことなどが分かってきました。
本遺跡は、崖の上に南に隣接して西別府廃寺、そのすぐ西側には幡羅遺跡( 幡羅郡役所跡)が所在し、これらの遺跡と密接な関係を持つ重要な遺跡となっています。
|