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コラム31 燕石(えんせき)  [登録:2005年07月19日/再掲2013年7月23日]

            

 江南行政センター職員通用口の壁面に、ここ数年、が巣をつくり、雛がかえっています。
 古代ギリシャの哲学者ピタゴラス(Pythagoras、紀元前582頃〜493頃)は、ピタゴラス派と呼ばれる共同体の規範の一つとして「が家の中に巣をかけてはいけない」というものを定めましたが(ディオゲネス・ラエルティオス(加来彰俊訳):1994)、「が巣をつくる家は栄える」との言い伝えもあります。
 そういえば、かぐや姫の物語に、結婚の条件に「の子安貝」を求められた人物がいました。

 『取物語』と呼んでいる作品は、9世紀頃成立したと推測されている作者不詳の物語で、式部(生没年不詳)の頃は『取の翁の物語』、または『かぐや姫の物語』とも呼ばれていました。取の翁がの中から得たかぐや姫の成長と、五人の貴公子や帝の求婚、姫の月世界への昇天などが描かれています。つまり、「中生誕説話(異常誕生)」、「小さ子説話」、「致富長者説話」、「求婚難題説話」、「昇天説話」、「羽衣伝説」、「地名起源説話」など、いくつかの伝承の型がキメラのように取り入れられているところに、この物語の特色があります。
 仮名で書かれた最初の物語であり、式部が『源氏物語』において、「物語のいで来始めの祖」と賞賛しています。
  これらの要素で、「求婚難題説話」、つまり、今日ではさほどではありませんが、当時としては珍しい「結婚したがらないお姫様」のお話の部分に、「の子安貝」が出てきます。
 かぐや姫と結婚したいと申し出た一人に、中納言石上麿足という人物がいます。この人物は、五人の求婚者の中で実在が確認されている三人の中の一人で、壬申の乱に際し活躍が伝えられている人物で、右大臣正二位までのぼり、養老元年(717年)に亡くなったとされています。
  100年以上も前の実在の人物の名前を、なぜわざわざ登場させたのかは不明ですが、この中納言石上麿足に、かぐや姫は、結婚の条件として難題を出します。それが、「の巣にある子安貝を手に入れる」というものでした。
 そこで、石上麿足は、家の使用人にが巣をつくったら知らせるようにと伝えます。すると使用人は(以下原文)
 「何の用にかあらん」と申。
答へてのたまふやう、「の持たる子安の貝を取らむ料也」とのたまふ。
をのども答へて申。「をあまた殺して見るだにも、腹になき物也。ただし、子産む時なん、いかでか出だすらむ、はらくか」と申。「人だに見れば、失せぬ」と申(堀内・秋山 注:1997)。
 つまり、を殺してみても子安貝は見つからず、ただ言い伝えではが子供を産む時、貝が出てくることがあるそうですと報告しているのです。
 この石上麿足という人物は、最後は使用人に任せておけず、自分での巣に梯子をかけて上っていくのですが、子安貝を見つけたと思った瞬間梯子から落ち、下にあった鼎に腰をぶつけてしまいます。そして、子安貝だと思ったのは、の糞だったという踏んだり蹴ったりのオチです。

 かぐや姫は、なぜ子安貝にこだわったのでしょうか。
 子安貝は、古代中国殷王朝で使われた世界最古の貨幣で、その形状から安産のお守りとしても使われました.
 また、が海から運んできて、巣に置くという、出産に関わりを持つ他の種類の石があります。が海辺から運んできて、巣の中にしまっておく「石」と呼ばれているもので、雛鳥の眼の病を治すのに効くと言われています。ヨーロッパではこの石の伝承は良く知られているもので、この石を身につけた女性は安全に子供を出産できるとされています。ノルマンディ地方の人々は、この石を手に入れるため、わざわざ巣に居るの雛の眼を傷つけたと言います。
 日本最大の博物学者とされる南方熊楠(1867〜1941)は、欧米の石に関する伝承を『石考』(The Origin of the Swallow-Stone Myth)という英文論稿で紹介しており、の子安貝が『取物語』以前に、世界で流布していた俗信であることを指摘しています(南方:1991)。
 中沢新一氏は、その著書の中で、石についての伝承が、もともとどちらも助産の機能があるという点から、子安貝をめぐる別の伝承と一緒になったものとし、『取物語』中の一つのエピソードにすぎないものが、「実はとてつもなく古くからあった思考の断片に関係を持っていて、ユーラシア大陸に広く伝えられていることがわかる」とし、さらに「かぐや姫は、が巣に隠してあるというこの石ないし貝を手に入れれば、難攻不落と言われた私だって落とすことが可能ですよ、と挑戦的な申し出をしていた」(中沢:2002)としています。
 つまり、妊娠をしているわけでもないかぐや姫が、子安貝を求めた理由は、助産の機能を求めたからで無く、Magic Stoneとしての機能を求めたのかも知れません。
 日本で良く知られ昔話である『取物語』ですが、子供の頃何気なく聞き流していた、物語中のたった一つの要素にも、深い背景があることがうかがえます。
 先の南方氏の論文の最後は、次のような言葉で終わっています。「伝説について、地上にこのように直接たどることのできる諸原因があるのに、どうして私たちは、遠く離れた天界に、間接的で曖昧な起源を求めなければならないのですか?」と。

  ところで、毎年同じ場所に帰ってくるは、同じなのでしょうか?
 は、帰巣本能が強く、毎年同じペアで同じ巣に戻ってくるとの俗説もありますが、の寿命は例外を除き一年間の平均死亡率は60-70%((生後1年目の死亡率80%前後))で、平均寿命は1.5年。また、のペアについては、ペアの相手はしばしば替わり、ある研究によれば115ペアのうち、次の年も同じペアで繁殖したのは13ペア(11.3%)にすぎないという観察結果が得られています。ただし、同じ年の間に何度か繁殖を繰り返す場合は、ペアの相手は変わらないようです。
  したがって、上記の数値からすると先の俗説は?ということになります。にも帰巣本能がありますから、前年の親である可能性もありますが、同じペアリングをする確率も11%程度であることから、その確立はほとんど0に近いと思われます。
 では、同じ巣に毎年戻って来ると思っていたは、実は他人の空家をチャッカリ拝借するまったく違う?あるいはその子供なのでしょうか?

 ちなみに、このの巣、繁殖期における雛の産卵・孵化・育児・巣立の間の「産院」に過ぎず、本来の「家」としては葦原等において集団でねぐらとしているそうです。
                   

江南町役場職員通用口の燕の巣の写真
江南行政センター職員通用口の燕の巣
<参考引用文献>

中沢新一 2002 『人類最古の哲学』カイエ・ソバージュT 講談社選書メチエ
堀内秀晃・秋山虔校注 1997 『新日本古典文学大系17 竹取物語・伊勢物語』 岩波書店
ディオゲネス・ラエルティオス(加来彰俊訳) 1994 『ギリシア哲学者列伝』(下).「第8巻第1章 ピュタゴラス 」 岩波書店
南方熊楠 著 中沢新一 編 1991 『南方熊楠コレクション〈第2巻〉南方民俗学』 河出文庫
伊藤清司 1973 『かぐや姫の誕生』 講談社現代新書