寺内遺跡第1次調査(4/4ページ) *画像をクリックすると拡大されます。 |
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22 遺物出土状況。 羽口が出土しており、鉄製品を集落内で作っていたことがうかがえます。 |
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23 遺物出土状況。 溶けて流れ出したような状況で。銅滓が出土しており、青銅製品も集落内で作っていたことがうかがえます。 |
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24 掘立柱建物跡完掘状況。 2×3間の総柱建物跡です。おそらく高床式の倉庫が建てられていたものと考えられます。 |
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25 中門跡南側の、ゴルフ場外周道路部分の発掘調査風景。 この地点になると、埋没谷に移行し、ローム層がのらない、水付の現場となります。 |
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26 参道跡の少し離れた地点で検出された、廃棄された多量の土師器の坏。 ほとんどの個体に、灯明皿に使用されていた痕跡が確認され、「多」「千油」などと墨書されていました。 |
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27 遺物出土状況。 「花寺」と墨書された土器(坏の底部破片)が、参道脇の黒色土中より出土しました。土器の上に途切れ途切れに確認される白い砂状のものは、天仁元年(1108)降下の浅間B火山灰。 |
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28 参道跡確認状況。 水没していますが、幅9mで両側に1mの側溝をもつ、立派な道路跡が検出されています。 |
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所 見: 調査当初、寺跡との関係を想定できなかった溝の跡が、寺院の中心伽藍を囲むように検出されたことから、 寺院地の区画施設であると調査途中で気がつきました。溝からの出土遺物は少なく、なかなか時期の決定は難しいですが、覆土中層より、天仁元年(1108)噴火の浅間Bの火山灰が検出され、寺院の廃絶後徐々に埋まっていったことがうかがえます。 北辺で約570m、上面幅6mを測るこの溝は、現地で実際に歩いてみるとかなり長大で、平安時代に、旧江南町に国分寺に匹敵する大規模な古代寺院が存在していたとは、正直驚きました。 今回の調査箇所は、現在ゴルフコースとなっていますが、その他は、ゴルフ場の残存緑地として現状保存されており、平成10年には、中心伽藍部分が町の指定史跡に指定されています。 また、中心伽藍の基壇建物部は確認調査を行い、1994年には、「寺内古代寺院跡」の調査・保存および活用をはかるため、「寺内廃寺調査指導委員会」が設置されました。そして、現在まで4次に渡る発掘調査と、地下レーダーによる寺跡南限施設の確認調査を行っています。 今後さらに調査を進め、古代地方寺院の構造・古代地方の仏教文化の実態の解明が少しでも解明できればと考えます。 |