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平成21年度第2調査区 |
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第2号溝出土土偶
(弥生時代中期後半)
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前中西遺跡 |
前中西遺跡は、市内上之地区に位置する弥生時代中期から後期にかけての遺跡です。これまでの調査の結果、遺跡範囲の北側に集落跡、南側に墓域が広がっていることが明らかになっています。
今回は、平成22年度に整理作業が終了した遺物の中から、全国的にも珍しい弥生時代の土偶、子供用のお墓である土器棺墓、竪穴住居跡や大人用のお墓である方形周溝墓から出土した土器や石器を展示しています。
土偶は、前中西遺跡でこれまでの調査で計5例が出土しています。弥生時代の土偶がこれほど多く出土することは非常に珍しく、そのほとんどが弥生時代中期後半のもので、弥生時代でも最終段階の土偶と考えられます。土偶というと縄文時代を連想しますが、縄文時代の伝統が強く残る東日本では弥生時代でも一部の地域で作られ続けていたようです。
土器棺墓は、土器を棺として使用した子供用のお墓と考えられています。今回紹介する土器棺墓は、竪穴住居跡の中から見つかったもので、蓋に壺の上半分、身に甕を使用しています。前中西遺跡では、これまでに10基程見つかっています。
方形周溝墓は、周囲に四角く溝を掘り、真中に土盛りをして遺体を埋葬する大人用のお墓と考えられています。今回紹介する第1号方形周溝墓からは、弥生時代中期末から後期初頭にかけての壺が多量に出土しました。
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土器棺墓(弥生時代中期後半)
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方形周溝墓出土壺
(弥生時代中期末~後期初頭) |
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第2号溝出土壺(弥生時代中期後半) |
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打製石斧・磨製石斧・土製紡錘車 |
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