福川左岸の自然堤防上に立地しています。弥生時代中期の住居跡、再葬墓(さいそうぼ)、土器棺墓(どきかんぼ)、土坑墓(どこうぼ)が検出されています。すぐ北側には飯塚遺跡(再葬墓)、さらに北側には再葬墓と土坑墓の検出された飯塚北遺跡と、連なるように同時代の遺跡が立地しています。また南に位置する横間栗遺跡(よこまくりいせき)でも再葬墓と土坑墓が検出されています。弥生時代前期から中期の時期、当地一帯が稲作受容と同時に、湧水と湿地という当地の特性が利用を積極的に開始していった様子を物語っています。時期的には、それぞれある時期平行しながら、横間栗遺跡→飯塚北遺跡→飯塚遺跡・飯塚南遺跡という変遷(へんせん)が考えられています。 |