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鬼瓦(おにがわら)
武蔵国分寺や相模国分寺に使用された鬼面瓦。この
センター屋根に復元しています。
お気づきになりましたか。
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連弧文軒平瓦(れんこもんのきひらがわら)
平安時代前葉(9世紀前半)
寺内廃寺跡出土
連弧の文様は粘土を削り取ることで表現する。同種の
文様瓦は荒久窯跡(入間市)で造られ武蔵国分寺七重塔
に使用されたことが知られる。
本瓦の生産地は未だわかっていない。
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素弁四葉蓮華文軒丸瓦
(そべんしようれんげもんのきまるがわら)【写真左】
平安時代前葉(9世紀後半~10世紀前半)
寺内廃寺跡出土
蓮弁の盛り上りが薄く平面的な文様の瓦で、この種の
瓦の末期に位置する。主として群馬県地方に分布する
ことから運ばれてきた可能性も残される。
素弁八葉蓮華文軒丸瓦
(そべんはちようれんげもんのきまるがわら)【写真右】
平安時代前葉(9世紀中頃)
寺内廃寺鐘跡出土
寺内廃寺金堂に使われた瓦。盛り上げた八枚の蓮弁で表現される。この瓦は型の歪みが大きい特徴があり、武蔵国分寺七重塔跡(東京国分寺市所在)からも出土している。
製作地は亀ノ原窯跡(ときがわ町)が知られており、この時期、国分寺塔の再建図った男衾郡司の壬生氏と寺内廃寺の関わりを示す資料でもある。 |
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江戸時代末期(19世紀後半)
個人寄贈
市内小江川の蔵から母屋へと約150年程使われていた雌雄の鬼瓦。隣接する滑川町で製作したと伝えられる。
のし瓦は鬼瓦の両側に押さえと飾りを兼ねて置かれる瓦で本品には四ッ目菱、宝などの文字が図案化されている。 |
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旧御正学校棟瓦(きゅうみしょうがっこうむねがわら)
明治時代(1908年頃)
熊谷市教育委員会所蔵
旧御正学校(現江南北小学校)の校舎に使われた瓦。
「御正」の文字は旧村名・旧校名として、旧江南町の北半部分を占める水田地帯を中心とした地域である。
「御正」の校名は明治末から昭和30年まで使われていた。 |
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重弧文軒平瓦(じゅうこもんのきひらがわら)
・平瓦(ひらがわら)【写真左】
奈良時代初頭(7世紀末~8世紀初)
西別府廃寺出土
桶に粘土を巻きつけた円筒状粘土を分割して成形した瓦。上面に布目、下面に成形時のタタキ跡が残る。
軒瓦は飾りのため、二重の弧線が描かれている。
単弁十二葉蓮華文軒丸瓦
(たんべんじゅうにようれんげもんのきまるがわら)【写真右】
奈良時代初頭(8世紀中頃)
西別府廃寺出土
中央部に大きな蓮実(れんじつ)を置き、十二枚の花弁を巡らす。出土量が多く、西別府廃寺の堂塔の主要な使用瓦である。 |
単弁九葉蓮華文軒丸瓦
(たんべんきゅうようれんげもんのきまるがわら)【写真左】
奈良時代初頭(8世紀中頃)
西別府廃寺出土
中央部の蓮実は輪隔線で表し20個の蓮子は点粒となっている。Y字状の間弁(かんべん)が特徴。
武蔵国分寺の創建瓦に同種品がみられる。
均正唐草文軒平瓦
(きんせいからくさもんのきひらがわら)【写真右】
奈良時代(8世紀中頃)
西別府廃跡寺出土
内区の中心部に牛の角状に表現された中心飾りを置き、左右対称に唐草文を伸ばしています。
外区には、珠文(星)が並べられています。 |