コラム28 懸魚(げぎょ) | [登録:2003年12月16日/再掲2013年2月20日] |
[追加:2003年12月24日] |
熊谷市野原地内に存する文殊寺は、切戸(京都府)・米沢(山形県)の文殊寺とともに「日本三体文殊」の一つに数えられ、知恵の文殊尊として、受験シーズンともなると、多くの受験生が参拝に訪れます。言い伝えでは、文殊寺の前身は五台山能満寺といい、天台宗の寺院でしたが焼失し、室町時代に、比企郡高見村(現埼玉県比企郡小川町高見)の四つ山城主増田四郎重富が現在の場所に再興し(文明15年:1843)、寺号を文殊寺、宗門を曹洞宗に改めたとされています。
この山門は、三間一戸の八脚門で、屋根は切妻造りで、現在は瓦葺きですが、かつては茅葺きでした。
屋根の破風板に下がる大きな飾りが特徴となっていますが、これは「懸魚(げぎょ)」と呼ばれている、ちょっと珍しい響きのものです。
「懸魚」とは、神社やお寺の屋根の破風板部分に取り付けられた妻飾りのことで、屋根の構造が、切妻造りか入母屋造りであればたいてい付けられています。
この「懸魚」の語源は、文字通り「魚を懸ける」ことであり、水と関わりの深い魚を屋根に懸けることによって、「水をかける」という意味に通じています。
つまり、水の代わりに魚を屋根に懸けて、火に弱い木造の建物を火災から守るために、火伏せのまじないとして取り付けられたものなのです。
これは、中国雲南省の少数民族(白沙村等)に、魚の形をした板を屋根に懸ける風習が今でも残っており、漢字で「懸魚」と表記されることから、これが火伏せのまじないとして魚が使われたとする根拠となっています。
しかし、日本にいつ伝来したものかがまだよくわかっておらず、仏教伝来とともに寺院様式として伝えられたとする説や、後の時代になって伝わったとする説があります。
ちなみにこの雲南省は、照葉樹林文化の中心地(東亜半月弧:East Asian Crescent)で、稲・大豆・小豆・ヒエ・蕎麦の起源地であり、高床式建物、大黒柱、囲炉裏、お歯黒、貫頭衣、神話(イザナキ・イザナミの国生み神話、オオゲツヒメ神話)、昔話(竹取物語、羽衣伝説)、歌垣、鵜飼、納豆、天麩羅、げた、畳、仮面、鮒すし、赤飯といった日本の風俗・習慣や文化と共通するものが多く、日中文化比較研究の注目される地域です(1982:佐々木)。
文殊寺の「懸魚」は、蕪懸魚(かぶらげぎょ)という種類に属しています。これは、野菜の蕪(かぶ)の形状に似ているところからついた名称で、「懸魚」の中では最も一般的なものとされています。
また、この蕪懸魚の両脇には草花鰭(ひれ)が付けられ、「懸魚」の中央には、日本独自の飾りとして、「六葉」と呼ばれる6枚の葉で構成される六角形の飾りが付きます。「六葉」の中心から出る棒を「樽の口」、その根本にあるのを「菊座」と呼びます。つまり、樽酒の口を栓で止める形を模し、水を注ぎだすというこれもやはり火伏せのまじまいとして取り付けられているものなのです。
本来は、寺社や城の建築のみに用いられていたこの「懸魚」ですが、江戸時代に入ると、武家屋敷や庄屋クラスの民家にも特別に付けられることが許されるようになりました。その後、明治・大正期になると、民家の建築を手掛けるようになった一部の宮大工が、寺院様式を民家にも取り入れるようになり、限られた地域の民家で今日まで伝わっています。
また、明治期になって、各地の擬洋風建築として建てられた小学校の校舎にも見ることができます(ex.宮城県金成町金成小学校、静岡県松崎町岩科小学校)。
この他意外なところとして、銭湯や古い温泉旅館の玄関建築(唐破風:からはふ)にも見ることができます。この場合には、横に長い形になり、唐破風懸魚または兎毛通(うのけとおし)と呼ばれています。
なぜこれらの建物が、寺社建築を模しているのかといえば、それは、訪れる人が「極楽への入り口」をイメージするためとの説があり、なるほどと妙に納得してしまいます。
有名なところでは、映画「千と千尋の神隠し」の中で、八百万(やおろず)の神が湯治に訪れる湯屋のモデルとされる、東京都小金井市「江戸東京たてもの園」の「子宝湯(昭和4年築)」があります。
普段は何気なく正面からしか見ていない神社や銭湯も、ちょっと視点を変えると、今まで気づかなかった新たな一面が窺えることを、今回は発見しました。
文殊寺は、文明15年(1843)の再興後、文政11年(1828)と昭和11年(1936)の2度の火災によって堂塔のほとんどを焼失していますが、昭和11年の火災以前の建物で残っているのは、「懸魚」の庇護を受けた?この山門のみとなっています。
文殊寺の懸魚
<参考文献>
懸魚の形態と由来
http://www3.ocn.ne.jp/~toto/
宮城県の文化財「宮城県の文化財/建造物/金成小学校校舎」
http://www.pref.miyagi.jp/bunkazai/
きいろい★ながれぼしの旅「星の路線図/明治の小学校/岩科学校」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~ynisihir/index.htm#top
銭湯温泉サウナ王国「写真で見る銭湯のすべて:玄関建築」
http://www.kt.rim.or.jp/~tsukasa/sento/index.htm
1996年「神社建築の鑑賞基礎知識」 濱島正士 至文堂
1982年「照葉樹林文化の道」 佐々木高明 NHKブックス
1973年「かぐや姫の誕生ー古代説話の起源」 鈴木清司 講談社